藤代王子

 藤白神社で休憩する後鳥羽上皇の一行の図 

 鳥居跡から藤代山脈の裾を藤白神社に向う古道が熊野街道である。途中右側に「鈴木屋敷」と言う史跡がある。藤白王子の社家、熊野三党の一つ鈴木家の分家であり 、この地の宗家と称せられる家の址である。

 藤代王子は熊野街道から境内に入る左側にある。五体王子の第一金剛童子が藤代権現本社の西の方にあったと言うが、後に本社こそ藤代王子社であるとなっている。

 この王子では御経供養、相撲、白拍子舞歌会等が催さけた。

 鈴木屋敷には曲水池などが残っている。

 境内に歌塚碑二基がある。(元は宇多、華山、白川三法皇の重石三基があったと言う)

 この所まで京都より御伴して来た従者の中には白拍子等の女人もいて、社の裏の藤白山脈の組を見て驚いて御伴を遠慮して引返した者が過半数もいたと言う。

 筆捨松遺蹟